イノベーションのロスタイム

ファーム勤務のコンサル から、アラフォーの独立コンサルになりました。

コンサル仕事に効く漫画3選

仕事に役立つ漫画というと、「職業漫画」であることが多いです。
ところが、私はコンサルという仕事をしていますが、
今のところコンサルそのものを題材にした漫画はあまり見たことがありません。
 
そのかわり、コンサルとはまったく関係のない職業を描いた漫画の中や、
まったく違う世界観のなかに「あるある…」という共感を見出すことが多いです。
 
おそらく、世のプロフェッショナル職に就くほとんどの人はそうなのかもしれません。
この世に星の数くらい仕事はありますが、そのほとんどは画にならないから漫画になりにくいんですよね。
 
ということで、単におススメ漫画を羅列するのではなく
「コンサルの仕事に『効く』かどうか=学びがあるかどうか」という視点で3作品を選んでみました。
 

①銀と金

土壇場でオーナーシップを発揮できるか? 

銀と金 1

銀と金 1

 

 カイジの作者が、その引き延ばし病を発症する前になした傑作。
コンパクトに作者のやりたいことが詰まっており、
「ジュニアがシニアに成長する様子」と相似だなと思いました。

 

共通点は何か。

それは「オーナーシップを獲得していく」という成長の仕方です。

主人公である森田は、これといって実績も経歴もない無職の男です。

それが闇社会のフィクサーと行動を共にするうち、彼からの教えを身に着けていくという成長譚となっています。

 

彼はことあるごとに命がかかるほどの危機的局面に直面します。

「どうする・・・?」と彼はその都度自問し、解決の道筋を探るわけです。

最初は単純に状況にリアクションするに過ぎなかった森田ですが、だんだんと自分の頭で考え、自ら行動することが増えていきます。

 

まるでコンサルのジュニアクラスが、最初は言われたことだけこなしているのに

やがてプロジェクト全体の意図やクライアントの意向を先取りして

マネージャーロールまで手が回り始めるあの様子にも似ています。

 

その白眉は、森田がある程度の金を渡されて、フィクサーから放り出されるところです。これは言わば、VCから出資だけ受けたけど事業もコネも無いベンチャーみたいな状況です。

そこから彼は、「どうやったらこの金を活用できるか??」という一点にむけて活動を開始します。その道筋たるやかなり荒唐無稽なスキームで、そのプロジェクト自体はとても漫画的です。


しかし、何も支援のない、何のヒントもない環境から
試行錯誤しながら状況を打開していく、その様子は大きな共感をもたらします。

 

我々にしても、仕事をしていれば「どんづまりの瞬間」みたいなのがやってきます。

答えがでない。知恵も助けもない。そもそも状況が理解できない。

でもたった一人で何らか状況を解決していかなければならない。

仕事をするとそんな瞬間ばかりです。ため息がでます。

森田を見ていると、そんな状況を打開する「オーナーシップ」のあり方を思い出すのです。

・いまこの場をなんとかできるのは自分であり、
・あやふやでも答えを出すのも自分であり、
・その答えを無理やり正解に変えていくのも自分である

という、あらゆる仕事で求められる姿勢ですね。(これを過度に求めすぎるとブラックになって危険なのですが、いったんその話は置きますね)

漫画自体もエンターテイメントに徹しており、仕事している人ほど楽しめると思います。


②できるかなV3

 理不尽だろうが、信念で戦いきる姿勢

できるかなV3 (角川文庫)

できるかなV3 (角川文庫)

  

西原理恵子は恨ミシュランを読んで以来一貫してファンです。

巨大な権力や権威と戦おうとする姿勢と、独特のワーディングでの世界の切り取り方。
数々の模倣者を生みながらも、いまだにエッセイ漫画の王者の一角を占めているのではないでしょうか。

 

本作品の冒頭に掲載されている「脱税できるかな」はとうとう国家権力と戦うに至ります。一億円(!)の税金を払えと言われた西原は、「誰が払うかそんな金」と税務署に徹底抗戦することを決意します。

 

もちろん正義は税務署側にあり、西原はあくまで必死に脱税しているに過ぎません。並の作家が描けば「いや、国民の義務なんだから払えよ」と炎上して終わりでしょう。

しかし西原の手にかかれば、「納得いかないから払わないんだ」と理不尽に抵抗する姿がエンターテイメントになってしまう。

異様にコミカルに描かれるその交渉は、「恨ミシュラン」の頃からなにも変わらない西原の戦闘的姿勢そのものです。

税務署との交渉を経て、1億がまず5千万に減額された時の啖呵が笑えます。

 

誰が払うかそんな金!! 

だいたいなんだ税務署、ちょっとゴネたらいきなし半額
パキスタン人のジュータン売りかおのれら!!

 

コンサルの仕事も泥臭いものが多いですが、果たしてここまで戦いきれるのか?

もちろん脱法行為はいけませんが、自分がおかしいと思ったことに

ここまでこだわって長期戦を戦い抜けるか?と問いかけられるような気がします。

 

とりあえず読後は、パートナーやシニマネからの無茶ぶりなんて

「そんなの意味ないんで、こっちの論点掘りましょうよ」と突き返せる気がしてきますよ。

 

あと地味に、後半に掲載されている「ホステスできるかな」も良作です。

西原の最も得意とする「労働とその喜び」が描かれていて読んでて単純に楽しい。

仕事に疲れた時にも元気の出る一冊です!

 

③逆境ナイン
結局のところ状況はとらえかた次第。

逆境ナイン(1) (サンデーGXコミックス)

逆境ナイン(1) (サンデーGXコミックス)

 

コンサルの仕事なんて、もうどうしようもない瞬間との戦いだ。

 

時間がない。

リソースがない。

新卒ジュニアのマインドが中2病で手間がかかる。

クライアントがスコープ無視のちゃぶ台返しをしてくる。

味方のはずのパートナーが、思い付きでチームを振り回してくる。

そんな理不尽に日々直面するコンサル諸氏には、この作品は大いに笑えるものかもしれません。

野球部存続のために、たった一年で甲子園優勝を目指すことになった野球部の奮闘を描くこの作品。

島本和彦が、作品全体の破綻を招きかねないほどの燃える情熱を叩き込みながらもほぼ破綻をきたさずに描き切った稀有なものです。

 

全編を通して出てくるセリフがこちら。 

「これだ…これが逆境だ」

このセリフを頭でつぶやいたことのないコンサルがいるでしょうか?

この作品はありとあらゆる逆境を主人公にぶつけ、先のセリフを呟かせます。

そして得体のしれないロジック(というかアジテーション)によって

事態に何らかの決着を付けるというものです。

 

この作品に出てくる理屈や行動は正直仕事に一切役立たないのかもしれません(笑)

 

ただし、逆境を受け止め、楽しみ、意地で乗り越えるという「激情」みたいなものを感じ取ることはできると思います。

そんな激情にさらされていると、逆境だと思っていたものも実は単なる一つの状況に過ぎない、という諦観とも達観ともいえない境地に到達します。

 

本作は私も仕事がしんどい時に先輩におススメされて読んで、そして最近はへこんでいる後輩がいると薦めるようにしています。

 

そして読んだ次の日の反応は以下のようなものです。
「なんすかあの漫画w」(苦笑)

でも苦笑できるくらいには、ちょっと元気になってるんですよね。

私もそうでした。

 

〇まとめ

3作品に共通して言えるのは、
「とてつもなく困難な状況を、己でリスクを取りながら切り開いていく」
という状況を描いた作品である、ということかもしれません。

 

この状況は、コンサルに限らず、起業家だろうが、将来に向けて勉強する学生だろうが

必ず直面するものであり、そこで戦う姿は職業や立場を超えて共感してしまうものです。

 

仕事の休憩がてら、気になる作品があればチェックしてみてください。
各作品のレビュー欄見てるだけでも面白いですよ!

経験不足に悩むコンサル初心者(私)に、先輩は「聞けばいーじゃん」と言った

「コンサルならわかるでしょ」「知ってるでしょ」
というのは、コンサルタントに従事する人間ならだれもが聞く言葉かもしれない。
 
実際のところ、森羅万象に答が出せるコンサルタントは(おそらくは)存在しないし、
そもそもコンサルタントの付加価値は知識や経を単純に切り売りするところにはない。
最低限のインプットで顧客と「一緒に考える」、そのうえで顧客の期待を超えることが全てなのだ。
 
「プロジェクトで扱ったことのある業界のことなら知っているでしょ」というのも、正確ではない。
 
コンサルタントは確かに、短期間で大量のインプットを行う。
そのプロジェクトに関連する産業のことなら、最初の2日目くらいまでに頭にざっと入れてしまうからだ。
 
でもそれは当たり前だけど、自分が担当したプロジェクトの、自分が担当した部分でしかない。
 
たとえば自動車業界をやってましたと言っても、
その人が調達部門のモジュールを担当したのか、
技術職の人事制度を担当したのか、
M&Aのために周辺業界を調べまくったのかでまったく業務内容は異なる。
極端な話、自動車チーム同士でもスキルマップを描けば驚くほど分散するのだ。
 
それくらい、コンサルの知識や経験は偏っている。
 
以前は、このように知識や経験がまだらであることが許せなかった時期がある。
ある業界の知識がすっぽりないことで、ホワイトボードの前で立ち尽くしたり。
お客さんから(この人、こんな技術トレンドも知らないで本当に『コンサル』なのか・・・?)という顔をされたり。
そういう状況から何とか脱したいと思っていた。
 
全てを知り、すべてに答えが出せるコンサルなどこの世に存在しようがないことはもちろん知っていた。
だがそこに迫っていくことがコンサルなのだという(半ば中二病的にヒロイックな)決意を抱いていた。
 
その悩みを吹き飛ばしたのが、ある先輩の一言だった。
 
ある日、私は先輩に悩みのような、独り言のような一言をぶつけた。
「いくら経験を積んでも、コンサルなのに知らないことやわからないことばっかりなんですよ」
 
そんなの当然だよ、ゆっくり経験積めばいいよみたいな答えをなんとなく想像していると
先輩は何言ってんだこいつ、みたいな顔で私を見た。
 
「知らなきゃ聞けばいーじゃん」
彼はそう答えた。私は虚を突かれた。
「お客さんの前だろうが、後輩の前だろうが、知らないことあれば目の前の人に聞けばいーじゃん」
彼は、何がそんなに悩みなの?みたいな不思議そうな顔をしている。
 
知らないことは聞けばいい…そりゃあ、まあたしかにそうです。
私は虚を突かれた格好で立ちすくんだ。
あげく、なんとも恥ずかしい返しをしてしまった。
「そうなんですが、知らないこと聞いてばっかりだとあまりにバカっぽいというか。。。」
 
先輩の顔からどんどん表情が消えていく。
「だって俺らには、聞き出す技術があるじゃん」
 
「単なるバカ質問じゃなくてさ、
仮説ぶつけて聞き出すヒアリングをいっつもしてるじゃん」
「その中で知らない単語やら出来てもみんな堂々としてるよね」
 
「仮説を検証する質問をしまくるのは仕事なわけだし、
そのついでに基本的なことを聞こうが、それがバカっぽいはずもないじゃん」
「だから遠慮なく聞けばいーじゃん、って言ってんの」
 
あー、としか言えず立ちすくむ私に先輩は畳みかけました。
 
「つーかバカに見えるとか気にする時点でおかしいよね。
業界数十年の人からすれば、俺らの知見やら初期仮説なんて頓珍漢でバカっぽいだと思うよ
でもそれが売りなわけじゃん」
「いろんな業界で仮説作りまくって、検証しまくった俺らが質問ぶつけまくることも価値だよ」
「バカと思われようが、プロジェクト期間中に価値がでりゃいんだよ。
「お前のバカに思われたくないなんて自意識なんか一円にもならないだよ」
悩みですらねーよそんなの」
「『バカに思われたくない』なんて言葉が出てくる時点で、
もうクライアントファーストじゃないんだよ。
そんなこと考えてるひまあったら、一個でも多くQAリスト作ってお客さんと立ち話でもして来いよ」
 
…ほかにもいろいろ言われた気もするけど、今覚えているのはこれくらいです。
何というか、すべてが正論で、自分が何にも気づけていなかったことを痛感。
 
中途で入るコンサルほど、自分の経験を活かさなければ…と苦闘してしまいます。
いまある経験や知識を活用することはもちろん大事です。
ただ、ありものの知識にこだわっても価値につながるとは限りません。
(中途がプロパーコンサルから「unlearn(学びを忘却)しろ」と言われるのと同じです)
 
目の前のお客さんから課題を引き出し、ともに考察する姿勢とテクニックがコンサルの売り物でもあります。
そんな基本的なことを、先輩の「聞けばいーじゃん」(あきれ顔)というセリフが実感させてくれました。
 
という、中途コンサル1年目の思い出でした。
書いてると恥ずかしくもありますが、先輩の言葉を野に放つためにも書いてよかったかな、という気もします。
 
※コンサルタントの聞く技術については別途書きたいですが、
まずはBCG内田さんの「仮説思考」が入門の入門としてよいと思います。

 

仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法

仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法

 

 入門といっても簡単という意味ではありません。

入り口としての敷居が低く、かつ仮説思考の有用さと実戦で使うことの難しさまでも触れているコンパクトな名著だと思います。
 

映画「アメリカン・スナイパー」感想~究極の会社員映画

 

最初に感想を言うと、会社員であることの幸福と悲劇が余すことなく描かれていました。

いま会社に身を置いている人もそうですが、これから会社を選び、しばらくの人生をそこで過ごそうと考えている学生の方々にもおすすめです。

「アメリカン・スナイパー」のあらすじ

アメリカの片田舎で荒くれものをしていた若者が、911をきっかけに海兵隊に入隊する。
彼はそこで、スナイパーとしての才能を開花させる。

スナイパーの仕事は、最前線で自国民を敵から守るものであり、それは彼が幼少から父に叩き込まれたカウボーイの思想にもかなっていた。それは「女子どもを狼から守れ」という言葉だ。
しかし彼がその才能を発揮すればするほど、国民の英雄になればなるほど、彼はその矛盾に悩まされることになる。
なぜなら、自国民のカウボーイであろうとスナイパーの仕事をすることは、前線でゲリラ的に襲いかかる「敵国の女子ども」を標的にすることを意味し、自分こそが恐ろしい狼になってしまうからだ。
そんな中、敵国の最強スナイパーとの対決が迫ってくる・・・

 

組織に最適化することの幸福と悲劇

主人公にはスナイパーの才能があった。しかしその射撃の才能は、民間の会社やフリーランスでは活かされないし、名誉も得られないでしょう。
彼の「遠くにいる人の頭をピンポイントで撃ち抜ける」という才能は、アメリカ軍という巨大な看板や資源や権限のもとでこそ存在を許され、フルに活かされる。

そして賞賛と報酬を得ることができる。

もし彼が米軍を辞めたら、彼はただのナンパとケンカが好きなニートになってしまう。彼はそれを痛感しているから、組織を離れるという決断がなかなか下せない。これは彼にとって悲劇といえます。

つまり彼は、大組織の中に身を置いてこそ才能を発揮する喜びと、多くの人からの承認を得られる仕組みの中にいるが、そこにロックインされている
彼がライフルの腕をあげ、海軍というコミュニティに自らを最適化すればするほど、彼はその仕組みから離れられなくなっていく。

そこには彼にしか味わえない幸福と、彼ゆえに抜けられない不自由の構造がある。


彼の幸福はそんな形をしている。

幸福のかたちと所属組織

もちろんその逆の人もいるでしょうね。
たった一人で絵を完成させる芸術家たち。
誰の意見も聞かず、己の野心と美学でプロダクトを書き上げる面々。
彼らの幸福は、一人で真っ白な対象と向き合うことでこそ浮かび上がる。
組織などというハコを必要としないし、むしろ組織によってスポイルされてしまうような、そんな運命の下に生まれたような人たちもいる。

どちらがいいとか悪いという話ではありません。

それぞれの幸福のかたちを追い求めていく過程で、組織という手段を必要とするのか、それを活用できるのか、といった分かれ目があるにすぎないからです。

 

だから、たまに発生するフリーランスと会社員のどちらがいいか論争も、この観点からすれば本当に不毛だとわかります。
勝利条件の違うもの同士が、どちらが幸せだのQOLが高いだの社畜で不幸だの言い張っても、比較もできないし比較から得る示唆もないからです。

そんなことより、自分にとって幸福がどんな形をしているのかを考える方がよっぽど大事です。
映画ラストの対決でも、その点は強調されます。

ライフルのスコープ越しに見える、その人だけの目標

終盤、最強のライバル、シリア人のムスタファとの戦闘。
周囲の誰もがムスタファなんかいないと言い張るなか、主人公はスコープ内のぼんやりした揺らぎを見つめながら「いる」と言い張ります。そしてその判断にすべてをかけて勝負に挑むのです。

我々には見えていない景色と標的が、彼には見えていた。蜃気楼でしかない色の歪みも、彼が見れば「誰の反対を押し切ってでも、狙い撃つべき標的」であった。

・・・ここから何を感じたか。

戦っていない人間が、戦っている人の見える景色を論評することは無意味だということです。
外野である我々からは何も見えなかったとしても、戦闘態勢をとっているその人のスコープには、その人が狙うべき標的が見えているかもしれないからです。

 

我々は他人の幸福を評価できないし、すべきではない、とも言えます。
そんなことより、自分のライフルをしっかり構えた方がいい。自分がそもそも何を狙っているか考えたほうが生産的でしょう。

 

会社員と就活生におすすめ

以上のように、この映画は「個人にとって幸福とは何か」「個人と組織のあるべき関係とは」という、普遍的な問いをぶつけてきます。
当然、イーストウッドも安易にどれがいいという描き方はしません。
それゆえ、見た我々がいまの身を振り返って自由に想像できる余地があります。

そんな器の広い映画でした。

 

 

仕事の合間に、就活の合間の映画におすすめです。

それではまた・・・

kensho

※仕事映画といえば、こちらもおすすめです。「ナイトクローラー」の主人公は、ある意味で自分の幸福感にまったく疑いのない(それゆえにサイコパスな)人物です。

そんな彼の怒涛の活躍を目撃してみてください。

 

innovation-losstime.hatenablog.com

 

コンサルが速読できるシンプルな理由

コンサルやる前から、速読術には結構お金と時間を使ってきたんですよ。

ただ、コンサルという仕事をしたら、「速読術のカラクリ」みたいなものがわかってきたので解説します。

 

「コンサルはなぜ速読できるのか」答えは単純で、先に言っとくと「速読の正体は仮説検証であり、コンサルはそれに慣れてるから」です。

 

速読本が共通して言ってること

これまであらゆる速読本を読み漁り、フォトリーディングのセミナーにも参加しました。

 

[新版]あなたもいままでの10倍速く本が読める

[新版]あなたもいままでの10倍速く本が読める

  • 作者: ポール R.シーリィ,神田昌典,井上久美
  • 出版社/メーカー: フォレスト出版
  • 発売日: 2009/11/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • 購入: 7人 クリック: 63回
  • この商品を含むブログ (34件) を見る
 

 

↑速読本の原点であり、よくも悪くもこれ一冊でいい速読術へのアプローチ紹介本です。

 この本のヒットの前後にも速読本はあったし、これからも形を変えてあれこれ出てくるでしょう。

でも基本、速読本が言ってることはおよそ以下のようなことです。

 

  • 全部読むな、読みたい箇所だけ読め
  • 読みたい箇所とは、事前に知りたいことや興味を持っていることについて書いてある箇所のことだ
  • 一度で読みきるな。何度も読め(接触頻度を増せ)
  • 内容は無理に記憶しなくていい。気になった箇所と全体の構成だけなんとなく印象が残ればよい

 

…これって要するに、「仮説検証をその本でやれ」と言ってるだけですよね。

速読の正体は「仮説の有無」

つまり速読とは、事前に立てた予想や仮説について、高速に検証、確認している読書の一スタイルにすぎません。

  • 「日頃からこんな疑問があって、こういう答えなんじゃないかと思ってるんだけど、このタイトルの本なら何かヒントが書いてそうだな」
  • 「目次見ると、第3章に書いてそうだな」
  • (該当箇所読んだあと)だいたい考えてた通りだったなーでも理由付けが思ってたんと違うな。一応前後の章も軽く目を通すかー
  • (前後の章を少し確認後)なるほどね、そういうこと背景がこの問題にはあったのね。うん、読んで良かった!(読書終わり)

これはやや単純化しすぎですが、いわゆる速読というのは上記なような姿をしてます。すなわち、「こんなことが書いてるんだろうなー」という仮説思考です。

これとは逆に「なんか知らんけど面白そうやなー」くらいの姿勢で読書に望んでも、事前仮説がなくてベターっと頭からだらだら読むから時間がかかるんですね。

仮説を持たずに臨む読書や人との会話は、どんなに瞬間的に楽しくても何も自分に残らない・・・つるっとしてるんですね。新しい知識や考え方が滑っていくイメージ。

 

でも、浅いものでも仮説を準備しとくと、それが当たっても外れても本の内容が印象に残ります。

たとえ浅い仮説(自分なりの根拠づけもあやふやな仮説)であっても、「きっとこうではないか?」という頭で臨む読書はなんらかの知識や新たなる仮説を引き付けます。なので僕は「仮説思考とは頭が粘着質になっている状態」とたとえています。トリモチみたいに、動き回るたびにいろいろぺたぺたくっついてくる状態ですね。

 

だから仮説ドリブンの読書=速読って、すごく時間の費用対効果がいいと思います。

多くの速読本が手を変え品を変えて仮説思考を持てと言ってるのはそういう理由があるからと思います。

上記のフォトリーディングの本も「問いを持ってぱらぱら流し読みせよ」という章があるのですが、同じことを言ってるなと思うようになりました。

そういう意味で速読本はいわゆる「モテ本」と同じ構造かもしれません。同じ事(聞き上手になれ!とか)をいろいろ変奏してるだけという意味で。

とりあえず、速読のトリックは単なる仮説検証だよという話でした。

 

仮説思考―BCG流 問題発見・解決の発想法

仮説思考―BCG流 問題発見・解決の発想法

 

↑仮説思考って何?という人にとって最強の入門本です。内田本はコンサル本のなかでも中道というか、汎用性が高いものが多い気がします。

 

以下は余談です。

 

あくまでも、数ある読書方法のひとつであることには注意

最後に補足ですけどね…ここまで速読語っておいてなんですけど、こんなの本当にただのテクニックなんです。必要なときに必要な部分だけをつまみ読みして、それを速読と言い張っているだけです。皆さんも雑誌やらまとめサイトをざざっと眺めてるとき、同じ事を無意識にしてると思います。

 

読書には、何十年をかけて古典を味わう読み方もあれば、コンサルや立花隆みたいに短期間で関連本を広く浅く読んで仮説を作ったり修正したりする読み方もあります。

 

読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 (文春e-book)

読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 (文春e-book)

 

 どれが正解というものはありません。

例えば私は西脇順三郎の詩が凄く好きなんですが、もう何十年も同じ詩集を、活字の一文字一文字を愛でるように読み返してます。そこには効率性も仮説もありません。活字に浸る時間があるだけです。 

西脇順三郎詩集 (岩波文庫 緑130-1)

西脇順三郎詩集 (岩波文庫 緑130-1)

 

 また、仮説ベースで読むといったって、そもそも初めて読む分野の書籍などは、「検証すべき論点そのものを知る段階」だったりします。そんな時は自分のなかに妙な予断を持たずに読んだほうがいい時もある。

 

いろんな読み方があっていいと思います。一ページ読んで本棚に戻そうが、一生かけてなめるように全文を読もうが自由なんです。

 

一番良くないのは、学校の国語教育の弊害かもしれないのですが「本は頭から最後まで読んで、内容をそれなりに頭にいれておくべき」という一種類の読み方にとらわれていることです。

速読は本への冒涜と思っている人もいます。

 

「こうしなければならない」と思っているときに、人の脳は萎縮していいパフォーマンスが出せなくなると思っています。

今回はそんな人むけに、いろんな読み方があるよ、速読だろうと遅読だろうと、目的に合わせて好きに選べばいいよ、そして速読は大したものではなくて単なる仮説検証だよーということが言いたくてつい気持ちが入ってしまいました。

 

という訳で、なんかおもいっきり話が脱線した気がしますが、また後日。

カズレーザーの強い知的好奇心が見えた数秒

この間ロンハーで「カズレーザーがいい人」であることを検証するドッキリが行われていました。
f:id:kenshopro:20170222125141j:image

企画の意図通り、「タクシー運転手に何を聞かれてもフレンドリーに答える」とか「飲み会で一般人から一緒に飲もうと誘われても断らない」とか「交流のない先輩から借金を持ちかけられても快諾する」など、いい人というか、彼の素直さが浮かび上がるものでした。

ただ、私が反応したのはもっと別の場所でした。「この人(カズレーザー)って、本当に知的好奇心が強いんだな」と思わされた会話がありました。

 カズレーザーの些細な一言

会話の状況はこうです。

・飲み会のさなかに、知らない会社員グループ(仕掛人)から一緒に飲もうと誘われる。

・それを快諾するカズレーザー、同じ席に座りながら上司らしき人と会話を始める

 

カズ「皆さんの会社はどんなお仕事されてるんですか?」

上司「医療機器を海外から輸入してるんですよ」

 

…ここまではまあ、普通の会話ですよね。

普通なら、ここで「そうなんですねー」で終わってもいいわけです。

 

しかしカズレーザーは続けます。

 

カズ「医療機器ってどんなものですか?」

上司「…有名なものだとMRIとか、レントゲンとかですね」

カズ「そういうのって、海外から輸入するものなんですねー」

上司「ほとんどは輸入ですよ」

カズ「そうなんですね!

 

…一つ目の、医療機器どんなものか詳しく聞くのはまだわかります。

二つ目は「販路に関する感想」です。

この感想がパッと出たのを見て、ああ、この人は本当に知的好奇心が強い、知識欲の旺盛な人なんだなと思いました。

おそらく彼のなかの常識では「医療機器のような精密機械は日本製が強い」というざっくりしたものだったのでしょうけど、上司の人が言ったことが少し異なるから、それが意外だったと感想をぶつけているんですね。

大抵の場合、医療関係者でもなければ医療機器が国産だろうが海外産だろうがどっちでもいい、関心がないと思いませんか?

だけどカズレーザーはそれを「へーそうなんだー」で終わらせずに、反射的に掘り下げているんですね。

 

 小さな違和感を、見逃さない好奇心

これは、普段から読書をしたり、いろいろなものに興味を持っている人の特徴だと思います。

何かを新しく知ったときに「あ、不思議だな」「あれ、何かヘンだな」と感じる。

その小さな違和感を逃さずに、すぐに確認したくなる

それを熱いうちに=関心があるうちに確認することで、新たな発見や知らないモノの見方が手に入ることを経験的に知っているからですね。

そういえば某コンサルのパートナーは、何かある度にマメに辞書を引いてましたけど、カズレーザーの即レスはあの感じに近いです。

 

カズレーザーのセリフ自体はごく普通の会話の流れに見えますし、相手に話を合わせる気遣いの質問ともとれます。

ですが、会話を合わせるだけならこの上司の趣味やら好きなテレビやらでいくらでも話は広げられるでしょう。何しろ芸人さんですから、接待トークなんてお手のものです。

なのに、「医療機器を海外から輸入している」なんていうほとんどの人が通りすぎてしまう情報にに反応してるところがスゴいのです。

どんなことでも知っておこうという、知的好奇心が強い人特有の振る舞いですね。

 

彼がアメトーク「読書芸人」に選ばれるのも分かる気がします。ファッションではなく、本当に読んだり、知ったりすることで世界観が変わったり、自分の常識が少し変わったりすることを楽しんでいるのでしょう。

 

ドッキリ番組の、ほんの数秒の会話でしたが、彼の知的水準の高さが伺えたエピソードでした。

おそらくですけど、カズレーザーは物凄くコンサルにも向いている人だと思います。

 

→そんなカズレーザーがコンサルに向いてる理由はこちら

次の登場も楽しみですね!

映画「ナイトクローラー」感想~意識高い系の行き着く先は。

意識高い人を嘲笑うかのような映画です。

この映画の主人公は、分かりやすいほどのサイコパスです。

「仕事は責任を持って遂行すべき」
「ライバルは排除すべき」
「会社は利益を追求し、つねに規模拡大を志向すべき」…
言ってることの一つ一つは、さほど変なことを言ってないんですね。

行動原理は間違ってないのに、その結果は鬼畜の所業になってしまっている。

主人公は努力家で、「自分はこれらをビジネス・セミナーで学んだ」と力説します。
いわば、「意識高い人」です。

でも意識高い行動を積み重ねると、そこにはライバルの事故死体や不法侵入や、事実の捏造、窃盗、セクハラが積み重なっていく。
面白い逆接だな、と思います。

まるで、今も自己啓発だのに必死になる我々の行き着く先がこうだと言われているような、そこはかとない不気味さがあります。

世の中のビジネスマンは、主人公の成り上がりストーリーに多少は共感するはずです。
そこには、結果への飽くなき努力と追求、そして分かりやすい成功が描かれているから。
そして共感すると同時に、居心地の悪さを感じるでしょう。
そこには他人を省みずに成功を求めることのグロテスクな結果が横たわっているからです。自分もどこかで、無自覚にこんなことをしでかしているのでは?と思わされるからです。

この矛盾をうっすらと感じるからこそ、この映画を観る働き手は、主人公をクズだとバカにすることも、尊敬することも出来ない宙吊りを味わいます。

 

極めて現代的な主人公設定と言えるでしょう。
島耕作なんか読んでるよりも、よほど今のサラリーマン、フリーランスの生きづらさと居心地の悪さ、そして自らの意思で状況を打開するサバイバルの面白さを描いていると思います。

意識高い自分を笑い飛ばせる、ビジネスパーソン映画です。
コンサルみたいなプロフェッショナル職の人や、フリーランスで生き抜こうとしてる人には必ず刺さる何かがあるはずです!

 

ナイトクローラー(字幕版)

ナイトクローラー(字幕版)

 

 ↑私はAmazonビデオで仕事の合間にサクッと見ました!

 

(おまけ)
そして画面全体を支配する、アメリカの美しい夜の描写だけでも見る価値ありです。


『ナイトクローラー』特別映像


このオープニング観た瞬間に、「これは絶対に面白いヤツ!」という予感があり、まさにその通りでした。

漫画「そせじ」(山野一)感想 ~泣けた!半額焼きそばに子供は親の愛を見る

漫画家山野一の、いわゆる子育てコミックです。伝説の漫画「四丁目の夕日」で見せた凄惨・残虐な描写はなりをひそめており、
昼間から酒を飲む父(でも面倒見はいい)と、素直な双子のおりなす、ハートウォーミングな家族の点景が描かれます。

 

そせじ(1)

そせじ(1)

 

 

そんななか、ある小さなエピソードが目を引きました。起こったことは単純です。

・父(作者)がお祭りで売れ残りの焼きそばを二つ買うと、双子は多いに喜ぶ
・だがそこに双子の大事な親友がいたため、父は焼きそばの一つをその友達にあげてしまう。
・すると双子のうち妹が不機嫌になり、やがて泣き出してしまう。
・つい先程も、貴重なおやつをこの友達に分けたばかりで、そのときは何も言わなかった妹が、焼きそばを失ったことでは多いに泣いている

 

起こったことはただこれだけです。
おやつは分けても平気だけど、焼きそばを友達にあげてしまったことが、妹にはなぜそんなにショックだったのか。

妹は泣きながらその気持ちを父に語るのです。

妹「たべものは お友だちにわけてあげなくちゃいけないってしってるよ
だからさっきニクピック(※ジュースのこと)をあげてもおこらなかったでしょ

ねずみこく(※ディズニーランドのこと。友達に自慢されたばかり)にいけなくてもいいんだよ
おとーちゃん、いつもなんも買ってくれないでしょ」
父「うん」
妹「でもあのやきそばはおとーちゃんがかってくれたんだよね」
父「半額の半額の半額だったからね」
妹「だからハナちゃんとミミちゃんだけで食べたかったんだよう」
父「そーかー」
妹「だってふたごだけがおとーちゃんのこどもだから」

…焼きそばは滅多にものを買ってくれない父親が自分のために買ってくれたものだった。だから、それは大事な友達にもあげたくなかった、というわけですね。
大人からすれば、「なんだ、そんなことか」となってしまいそうな、ささやかな理由です。

だけど子供にとっては、親が自分のために何かをしてくれたことがこんなにも大きなことなんですね。
子供はいつか、親の愛なんてあって当たり前のように振る舞います。
でも小さい頃は、半額の焼きそばでもそれが嬉しくて、誰にも渡したくない時がある。

 

公園の片隅でかわされた、本当に些細な会話なのに、正直ちょっと泣けてしまいました。

…でもこの妹の話を聞いていた双子の姉は、あっさりと「なに言ってるのかぜんぜんわからない」と一蹴します笑


f:id:kenshopro:20170210113548j:image

引用元「そせじ」第二巻より

このあたりの子供同士の感覚のズレもリアルだなーと。

これ以外にも、読んでて楽しくなるエピソードがたくさんあるので、かなりオススメです。とにかく双子がかわいいです。

 

そせじ(1)

そせじ(1)

 

 今のところ二巻まででてます。

 

四丁目の夕日 (扶桑社コミックス)

四丁目の夕日 (扶桑社コミックス)

 

↑伝説的なカルト?漫画。

三丁目の夕日を思わせるタイトルながら、一人の青年の凄惨な生活を描写します。

個人的にはグッドエンドだと思っています。小さな幸福の予感だけを残して終わる、綺麗なラストでした。